奇跡体験!アンビリバボー(H250926) 1964東京五輪 和田氏の奔走

フジテレビ 奇跡体験!アンビリバボー

H250926

◆感想

今回は、2020年夏季オリンピックの開催地が東京に9月7日(現地時間)に決定した事を受けて嘗ての東京五輪に纏わる知られざる話が紹介された。

1964東京五輪 和田氏の奔走

1958年、1964年夏季五輪の開催地に東京が立候補した。開催地の最有力候補はデトロイト(アメリカ)で、東京が選ばれる可能性は極めて低いと思われていた。
ロサンゼルスで青果店を営んでいた日系二世の和田・フレッド・勇は、当時の総理大臣・岸信介から「1964夏季五輪を東京に招致する為に力を尽くして欲しい」という手紙を受け取る。当時は日本は敗戦から間も無く、アメリカでは日本人は激しい侮辱を受けていた。和田は日本人の誇りを取り戻すため、東京招致活動に協力する事を決意した。
政治やスポーツ界に何の伝もない和田夫婦は、メキシコで唯一の知り合いである農場経営者に会いに行き、「どんな知り合いでもいいから紹介して欲しい」と懇願した。そこから実業家や村の役人などを経て、ついに次期IOC会長とも目されていたメキシコのIOC委員、ホセ・クラーク氏と面会する事が出来た。
和田は東京招致に協力するよう頼んだ。しかし、メキシコは当時アメリカから莫大な経済支援を受けていた為、クラーク氏は和田の頼みを断る。それでも和田は「一緒にチャンスを掴みましょう!どこの国にもオリンピックを開催するチャンスがあるべきです!」と訴えかけた。当時はオリンピックは欧米以外では開催された事がなかったのだ。和田の熱意に心を打たれたクラーク氏は、「東京支持」を約束し、更に中南米各国の委員への紹介状を書いてくれた。
和田夫妻はその紹介状を持って、1か月半で中南米の10カ国を訪問。なんと全ての国で「東京支持」を取り付けたのだ。
投票日の二十日前、ようやくロサンゼルスの自宅に帰った和田夫妻だったが、日本のオリンピック委員からの頼みを受け、IOC総会が開かれるドイツ・ミュンヘンへロビー活動を行う為に向かった。日本人の誇りを取り戻す一心だった。
そして、1964五輪開催地に東京が選ばれた。

この話には大きな驚きと感銘を受けた。痺れる逸話である。「夢を実現する為には臆せず積極的に活動する事」の大切さを感じた。

棒高跳び 西田VS大江

西田と大江は棒高跳びでライバル関係だった。
1936ベルリン五輪。バーの高さ4m25cmで西田は一回目、大江は二回目で成功。アメリカ選手二人を含めて四人が残った。次の4m35cmではアメリカ選手一人だけが成功。残る三人で銀メダルと銅メダルを争う事となった。再開後のバーでは西田と大江がともに成功し、アメリカ選手が失敗した。こうして西田と大江の一騎打ちとなった。
所がなんと、夜の10時を回り競技続行が困難となり、ここで試合終了となってしまった。規定により、西田と大江は両者とも銀メダルを受賞することが決まった。
所が更に驚く事態が起こる。表彰式の直前に両者2位という決定を取り消し、4m25cmを1回で成功した西田を2位、二回目で成功した大江を3位と決定したのである。
この結果を二人は不本意に感じた。西田は大江に、表彰式でのお互いの立ち位置を入れ替わる事を提案し実行した。
更にその後、二人は銀メダルと銅メダルをそれぞれ真ん中から割って、銀と銅同士をくっ付けたものを分け合った。なんとも型破りな行動だ。

大変興味深い話で、知る事が出来て良かった。「アンビリバボー」はとてもいい仕事をした。これからの放送にも期待している。
これ程劇的で日本人を勇気付ける感動的な実話が、殆ど知られていない事には違和感を抱く。その理由には、韓国等のテロリストが日本を滅ぼす為にマスコミを操っているという事があるだろう。今回紹介された物語は愛国心の萌芽にも繋がる為、猶更隔離され易い。

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